「おかしい」と思うことは、おかしいことじゃない—ハッシャダイソーシャル三浦宗一郎さん対談(後編)

インタビュー

古野香織が「今会いたいルールメイカー」に会い、語らい、その胸の内を知り、感じたことや考えたことを綴る企画。

前編に続き、今回も「一般社団法人ハッシャダイソーシャル」の代表理事を務める三浦宗一郎さんとお話しします。前編のインタビューはコチラ

選挙啓発をきっかけに教育に関わるようになったわたしと、「かっこいい大人たち」の背中を見て教育に関わるようになった三浦さん。

前編では、互いの経緯や活動の源になった思いについてお話してきました。

後編のテーマは、自分の人生を自分で選ぶために必要なこと。

誰だって自分の人生を選べているのか不安になることもありますが、そんな時に思い出したい多くの言葉が語られました。

選べなさは、それぞれの中にある

古野:三浦さんの「運の良い出会いを増やしたい」というお話にすごく共感しました。

実は、大学に入ったばかりの頃は、周りとの熱量の差を気にして活動を始められない時期もあったんです。わたしも、いろんな大人や同世代との出会いから「このままだと自分が好きな自分でいられなくなっちゃうかも」と感じたのが選挙啓発の活動を始めるきっかけになったんですよね。元々、「周りの期待に応える自分でいなきゃ」という思いが強くて。

三浦:僕たちは活動を始めて5~6年くらい経ちますが、最近は進学校とかに呼ばれるようにもなってきて、人が自分の人生を選べない理由は今までの僕たちが思っていた以上にいろいろあるということを実感しています。

ある進学校で講演をした後に泣きながら話しかけてくる生徒がいました。「親はいるし、お金もないわけではない。先生もいい先生で、頑張れる環境があるのはわかってる。だけど、しんどくてこれ以上頑張れない」って。僕がその子と同じ年齢の時はまた違う悩みを持っていましたが、いろんな生徒と話す中で選べなさは本当にそれぞれの中にあるのだと気づきました。

古野:その子の話、共感してしまって苦しくなります…。きっと、三浦さんたちの話を聞いたことで「自分って、選べるはずなのに選べてないかも」と初めて気づく人もいたと思います。

三浦:実は、少し前にハッシャダイソーシャルのミッションとビジョンを新しくしたんですよね。いろんな人との出会いを経て人生の選べなさは誰にでもあって、それでもなお自分の人生を選んでいく社会を目指したいという思いを新しいビジョンに反映しました。自分自身がやりたいこととか、心の声とか、本音とか、好奇心とか、違和感とか、そういうものをちゃんと拾い上げて言葉にできる環境があるかどうかが大事。ハッシャダイソーシャルが担うべき役割は、一人一人の内的な選択をどう応援するのかを考えることなのではないかと思っています。

*新しいミッション・ビジョンの背景は、こちらでお聞きいただけます

「おかしい」と言える環境は、どうやってつくっていけるか

古野:ひとりひとりがChoose Your Lifeのためにハードルを乗り越えていくのって本当に大変なことですよね。三浦さんたちは本人たちが一歩を踏み出すためにどんな風にアシストしていますか?

三浦:アシストはしないですね。たぶん「できない」って言うのが正しいんですけど。本人が一歩を踏み出すことでいろんなことが変わるので、そもそも踏み出すことがいいことなのか悪いことなのかも僕たちにはわからない。あくまで自分たちは彼らにとっての環境の一つで、居酒屋の隣の席で急に人生を喋り始めるおじさんくらいの感じでいい。僕たちの活動は居場所作りというよりも、集合場所作りという方が近い気がしますね。

古野:それってすごく謙虚な考え方ですよね。なぜそういう考え方をするようになったんですか?

三浦:これは僕個人の話なのですが、勝手に裏切られたような気持ちになる瞬間ってたくさんあって。急にいなくなったり、やるって言ってたことをやらなくて揉めたり。ある時、期待をしてしまったときに「これって良くないエゴだな」って思ったんですよね。自分たちが自分たちらしくあり続けられるスタイルを保つためにも無責任であり謙虚なスタンスを取るのが大事。いい意味で自分に無力感を持ちながら楽しくやるのがいいんじゃないかな。

古野:今の話はルールメイキングにも通ずる話かもしれないと思いました。

三浦:ルールメイキングも、いい意味で無力感を持ちながら楽しくやれるといいですよね。一方で、自分の「あれ、おかしいな」っていう違和感をその場で口にするのってなかなか難しいのも事実だと思います。

古野:何が「おかしい」と言えない状況を阻んでいるのかって、先生と生徒に限らず、上司と部下の関係などビジネスセクターの人たちも似た悩みを持っている気がします。でも、三浦さんはおかしいことに「おかしい」と言われてるイメージがあったので、難しさを感じているのは意外でした。

三浦:たしかに僕の場合は「なんかおかしくない?」と解像度の低いボールをぶん投げて、みんなが困ることが多いかもです(笑) 僕は、みんなが困りそうな時に「俺のおかしいを一緒に言語化してくれない?」と言ってます。解像度の低い違和感のままだとみんなで議論するのは難しいですが、一緒に違和感について考えられる人が周りにいることでみんなで話せるようになる。雑なものをちゃんとぶん投げ合うってことなのかな。文字通り、「雑談」が大事ですね。

古野:私は自分のモヤモヤを話す時に「どう思われるかな」と気にするタイプで、どうしても「ちゃんと言語化してから言わなきゃ!」と思いがちでしたが…雑に投げるというのをやってみようと思いました。

三浦:雑に投げることって、丁寧な言語化に繋がるし、自分を大事にして丁寧に扱うってことにも繋がる。雑にやることが丁寧であるって面白いですよね。

古野:本当ですね。

私は学校と連携しながら「ルールメイキング」のための一歩をサポートする仕事をしていますが、ルールに違和感を感じても、「どうせ言っても聞いてもらえないし」と諦めてしまう人が多いのではないかと感じています。最初の1歩を踏み出せないでいる人たちが、どんなことができるといいか、教えてもらえませんか?

三浦:僕は、違和感を捨てないことだと思います。心の中のもやもやは持っていていいもので、できればそのもやもやを誰か1人に喋ってみて欲しい。必ずしも議論をしなくてもよくて、 「ねえねえ、聞いてよ」って違和感の言語化を手伝ってもらうんです。そうすれば、いつか「わたしもおかしいと思ってた」っていう人が見つかる時がくるはずです。その日が来るまでは、自分の違和感を捨てないでいてほしいなと思ってます。

古野:ルールメイキングに関わる私たちも、違和感をすぐに解消しなくても、持ち続けながら解決していく可能性を考えられるといいのかもしれないですね。

今回の三浦さんとの対談で、雑に投げるコミュニケーションの重要性にハッとさせられました。

何かの問題提起をしようと思ったとき、「違和感をきちんと言語化して、誰にでもわかるように提案する」ことが求められがち。だけど、誰かの違和感をみんなで言語化していくことで、モヤモヤをより具体化できるし、協力の輪も広がるというのは目からウロコでした。雑に投げ合う「雑談」は、「ルールメイキングことはじめ」にあたって、ぴったりの手法かもしれないと感じました。

様々な分野のルールメイカーに会い、語らい、感じたことや考えたことを綴っていく特集「ルールメイキングでつくり変える未来」。次回もどうぞお楽しみに!

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